34歳までしっかり正社員で働いた。

順調に転職して年収は700万円を超えていた。

そのまま正社員で働いていたらかなり安定した収入となっていただろう。

しかし、相方が仕事よりも子供が欲しいという言葉に同意した。

確かに高年齢なので選択の余地もなかった。

結果二人のかわいい娘に恵まれた。

しかし、世の中不景気となり相方の転職はうまくいかなかった。

だから最初は減った収入をなんとか穴埋めしようとSOHOを始めた。

そして、下の娘が小学校に行く頃、電話番のつもりで親族の会社を手伝った。

本来ならずっと相方の穴埋めでよかった。

でも、相方がリストラされ給与もその度にどんどん減った。

そしていつしか私が稼ぎ頭になっていた。さらに相方まで 親族の会社に世話になった。

すると経営者である叔父は給与をだんだんちゃんと支払わなくなった。

毎月予定した金額が支払われないので家計が不安定になっていった。

だから堪忍袋の緒も切れ、夫婦共々別の道を 歩むと決めた。

ただ、今度は相方に稼ぎ頭に復帰してもらうために私は母校の就活だけにしぼった。

すると、なかなか私の就職は決まらなかった。ていうかみごとに失敗した。

 母校の就職を最優先したため他の就職をまったく考えていなかった。

どこかで私の年齢では正社員としてはもうどこも雇ってくれないと思っていたんだろう。

事実、繋ぎにパートをすぐに応募したのにいきなり年齢切れされた。 

私の中で自分のスキルなら、経歴ならこんなパート受かるに決まってるじゃんと

高をくくっていたのは事実だ。

だから、採用されなかった事実は私に確実にたたきのめした。

採用されなかった店に行き、なんで私は採用されないのと店のスタッフをまじまじ見た。

確かにみんな若いよね。でもそれだけじゃん。すっごくくやしいと思った。

そして結局母校にも振られて失意のどん底だった。

やけくそではないが、これだけ採用されないんだったら、

母校に拘らず働きたいと思う仕事に応募するぞという気になった。

そして派遣というワークスタイルに出会った。

これまでの正社員、契約社員、SOHOという働くスタイルに新たに加わった。

ハケンはちょっと前までの煩わしい人間関係もないし、安定して収入が得られる。

安定した大手企業だから働く環境の人達の品がとても素晴らしい。 

つい最近まで働いていた最低最悪の会社とは比較にもならない。

お金に汚くないし、嘘もない、心が貧しくない、人間のクズもいない。

まず、とにかく周りを尊敬できるというのがうれしい。

久々にやっぱりちゃんとした企業で働くのはいいなぁと思った。 

明日はいい人間関係が築けた新卒で入社した同期と先輩と飲み会だ。

やはり働く環境がいいと人間的にも成長ができる。

「働くことは生きること」 by 大前春子 



  
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