気がつくと仕事をしていた
学生の頃は、専業主婦の母から「高校を卒業したら花嫁修業をして嫁に行くものだ」と言われ続けた。
漠然とだが、自分でもそうなのかなとも思っていた。
だから、自分の将来を何も描いていなかった。
ただ、私の祖母は職業婦人であった。
幸か不幸か、高校は進学校に進む。
大好きな叔父が理系だったので理系に進んだ。
高校3年になっても夏休み前まで、進学するつもりはまったくなかった。
でも、何がきっかけか忘れたが、大学の一般推薦を受けることになった。
母が、化粧品を取り扱うお店と薬屋を併設するのもいいねとなぜか言いだし、
薬学部を探したが、家から通える範囲内には適当なところはなかった。
自分としては獣医にあこがれていたので、獣医になりたいと思った。
でも、私の年から6年制になったため、あえなく却下された。
そして、そのころ流行りだした臨床検査技師になるべく、
衛生学部を受験することと相成った。
一般推薦で運よく合格。せっかくだからと父が後押しをしてくれて進学させてくれた。
母は、女がへたに学を持つとロクなことがないと少々ご立腹だった。
高校では大した成績ではなかったが、大学に行くとなぜかトップクラスの成績をとった。
そんなんだから、大学4年で幸運にも隣のゼミの教授から一流商社を紹介されその商社に5月には内定をとった。
その会社に就職すると、仕事も技術職。
幸か不幸か、私には将来的にこうなりたいというビジョンがなかった。
だから、与えられた環境での仕事がとても楽しかった。
就職とともに一人暮らしになったが、実家に帰りたいと思ったのは最初の
半年くらいで、1年で家に戻ってくるのを目論んでいた父の期待をみごとに裏切った。
慣れてくると責任も信用も出てくるため仕事が面白くなり、35歳で
結婚退職するまで,とにかく仕事は概ね楽しかった。友だちもたくさんできた。
35歳で結婚退職後、仕事の楽しさを忘れられず
専業主婦ではなく、そのころ流行りのSOHO、在宅ワーカー、ネットワーカーの道を選んだ。
ネットワーカーも8年くらいかな、ふたりの娘が小学校に上がると再び外勤を始めた。
ネットワーカー時代は、女性が多かったこともあり、パワハラが横行していた。
仲良しグループからはじまった風土にはなじめず、
能力が認められない不満への反動もあった。
そのころ倒産寸前の会社を立ち直らせるために外勤の誘いがきた。
外勤すると、能力が認められない不満が一気に解消された。
最初は、週何日かのパートのつもりがいつのまにか部下を何人か持ちバリバリ働いた。
正直、廃業寸前の会社の業績がどんどん上げていくのはとても面白かった。
そして、ここ数年、相方が仕事に恵まれず、家族のために、必死に仕事することになった。
たとえ少々、辛くても、徹夜が続いても、頑張るのは、やはり娘たちのためだと私は思った。
たぶんそんな頑張る仕事でいつのまにか私のココロもカラダも壊れていったんだと思う。
昨年あたりっから考えるところがあり、これからの自分の働き方を考えた。
希望は、母校で働くこと。恩師に相談したら可能だと言ってくれた。
相方も新たに出発をしてくれたので、一旦外勤を昨年の10月で辞めた。
最初は、いろいろな意味であせりを感じたが、3か月も経つと心の余裕を取り戻した。
そして、仕事という目隠しで見えなかったことがいっぱい見えてきた。
娘からはやっぱりママが仕事を辞めてくれてよかった、
家にママがいるのは良いものだと言われた。
今年は55歳になる私。これからのライフスタイルをどうするかじっくり考えつつ取り組みたい。
まずは、ストレスフリーなライフスタイルを築いていこう。
2017年12月23日現在。あれから半年以上が経った。
希望した母校の研究職は経営不振のため見事に振られてしまった。ネットワーカーとアフィリエイトだけでは、借金返済が難しいと判断。5月から派遣で研究補助の仕事に就いた。現在は、ハケン、ネットワーカーとアフィリエイト、ときたまコーディネータ業とマルチに働いている。今のところの目標は借金をすべて返済すること。
ポチッとお願いします。m(._.)m
人気ブログランキングへ
にほんブログ村